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心だけは鍛えとかないとさ…
シュッ〆
と、鍛えればになれるかも……
なんてちょっと思ってしまうんですけどねぇ。
てゆーか、暑くね?最近めっきり暑くね?
by tjtype1 @管理人

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2006年 05月 06日
『小さき勇者たち~ガメラ~』

字が汚いのもいつもの事だけど…
にしても、コレは… に、似てねェ…
富岡涼、夏帆両氏の関係者、及びファンの方はモニターの上部を手で覆いながら読んで下さい。
やはり三次元の人物は厳しいぜ…
いや、二次元だって満足行くもの描けてないというのに。安パイで怪獣だけという手も十二分にあったんですが… いや、この映画に関してはそれはダメだな、と。
何故ならば、今までの怪獣映画は何だかんだ言っても、最終的に美味しいところ持っていくのは怪獣だし、怪獣が主役の映画なんですよ。

でも、これは違う。




クライマックスにかけての映像を観ていて、はたと判りました。
タイトルが「小さき勇者たち~ガメラ~」なんです。
そう。「ガメラ~小さき勇者たち~」では、無いのです。
主役は「小さき勇者たち」なのです。

じゃあ、ガメラは?
もちろん、活躍しますよガメラも。
でも、主役じゃない。それはこの映画が、「怪獣映画」ではないからなのです。


お前の考えとかイイから、早く映画のレビューだけ読ませろや、という方はコチラ

<第一部>


■怪獣映画とは?


はてさて?
「怪獣映画」とは、いったいなんだろうか?

例えば、ハリウッド版ゴジラを観て、「あれはゴジラじゃない」とか「あれはあれで面白かった」とか色々なご意見あると思います。
しかし、あれは「怪獣映画なのか?」という問いに対しては、首を捻って唸る方が多勢かと思われます。
「いやぁ~怪獣映画…う~ん…」みたいな。
そう言う方も、あの映画を「モンスター映画」という括りになら納得して頂けるのではないでしょうか?
ハリウッド・ゴジラは怪獣というよりも、モンスターだという事なんでしょうか。

「怪獣」は英訳されると「monstar」です。
でも、「monstar」の和訳は「怪物」であり。「怪物」と「怪獣」は同じモノであると並べる事が出来ません。米国には「怪獣」という概念が存在しないというわけです。
いや、エンタメ・サブカル先進国の米でさえそうなのですから、むしろ「怪獣」という概念は日本にしか存在しないと言い切ってイイでしょう。
怪獣は日本人独特の宗教観、自然観に根ざしている可能性がある。日本特有の怪獣に見られる様々な特色から、二義的意味での「怪獣」は、滅びさる自然神の象徴であるとの説がある。非科学的なまでに高い防御力、都市破壊を好むなどの特徴がこれにより説明される。(wikipedia「怪獣」の項より)

「怪獣」という存在の明確な定義は未だされてなく、「モンスター」「怪物」との違いなど、非常に曖昧な要素も多い。しかし、日本では毎週当たり前のように新しい怪獣が生まれているというのも現実であり、それらの新怪獣を「いや、あれは怪獣ではない!モンスターだ!」と言う人間も皆無な事からして、日本人自体は怪獣という存在の定義を、明確にではないものの、理解していると思ってイイのではないだろうか。


では、「怪獣映画」の定義とは何か?
ハッキリ言って、怪獣が出てくればそれは既に怪獣映画なのだろう。
だが、世の中には怪獣の出ない怪獣映画というものも存在する。
→「大怪獣東京に現る」監督:宮坂武志

特に怪獣映画を嗜好する人間(つまりオレ)の考えによるところ、「怪獣映画」には「ゴジラ('54)」によって作り出され、脈々と受け継がれて来た文法が存在するように思う。
その私的見解による怪獣映画黄金律がコチラ

予兆→探索→発見→調査→出現→破壊→対策→対決→平穏

殆ど全ての怪獣映画という怪獣映画が、この黄金律で判断出来ると言って過言…… ではない、と思う。
ウルトラシリーズなんて、毎週30分でこれを詰め込んでいるんだから、大したモンですよ。
ま、要するに、多少おかしなコトがあっても、この文法になぞって進めれば「怪獣映画」としての存在は、ほぼ間違い無いわけです。

様式美、と言いますか。
日本の伝統芸能に言える事ですが、まずカタチから入る、という。
怪獣映画なんて生まれてからまだ50年ちょっとしか経ってないのに、そのカタチを手に入れているなんて、大したモンですよ、ええ。

――しかし、これは危険な事でもある。

その文法はこれまで先人達が築き上げて来てくれたカタチです。
それに従っていれば、大きな間違いも無く出来上がる。と同時に、当たり前ではあるが、そのカタチ以外のものは生まれない。
50年前にその文法を作った人達は、後世コレが脈々と受け継がれて行くなんて考えて作ってはいなかったはずだ。ただただ、新しいモノを産み出すという冒険だったはず。
正直、文法こそ受け継いで来てはいるが、これまでその冒険の魂までも受け継いで来ているかというと、安易に頷けない状況だろう。
いつまでも同じコトをしているだけでは、いつかは終わってしまう。
かくいう、この映画だって40年以上前に創造されたキャラクターを未だ使っている。

しかしこの映画には、これまでの文法に頼らないで、「怪獣映画」というモノを作ろうという思いに溢れているのだ。


■怪獣映画ではない

そう。前述したが、この映画は怪獣映画では無い。
上記で述べたような文法に即して作られた、いわゆる「怪獣映画」という概念で作られてはいない。
具体的な点を上げるにしても、

・怪獣に対する説明描写はほぼ皆無。
・バトルが思いの他少ない。
・怪獣が主役ではない。 etc…

今までの怪獣映画を期待していれば、こういった点に違和感を感じざるを得ないだろう。
だが、それは「怪獣映画」からの脱却が図られているからに他ならない。

怪獣映画では怪獣についての説明が成されなければならない。
怪獣映画ではクライマックスバトルでドラマを昇華させる。
怪獣映画では怪獣が主役。

そんなコト誰が決めた? いや、誰も決めてないンですよ。
怪獣映画は怪獣が出て来さえすれば怪獣映画なのだというのなら、観る方は怪獣が出る事以外は期待してはいけない。しかし、実際には「怪獣映画」という冠に少なからずのイメージや概念が、この50年の間にこびり付いているのも事実。
だとすれば、この「小さき勇者たち~ガメラ~」を怪獣映画と呼ばなければいい。

これは、「新たなる怪獣映画」なのだから。


<休憩>


つらつらと、この映画に対しての怪獣映画的なポジションを小論文的文面でお送り致しました。
同じコトを何度も違う表現で言い換えているだけじゃないか、なんて核心めいたご意見はお控え下さい。
ここからは、いつも通りの文章とノリでお送り致します。普通にネタバレ。

<第二部スタート>


第一部とは全く似て非なるモノとして存在する人格による第二部スタートです。

雨の中、映画館までバイクに乗って行くオレ。
頑張るなぁ。次の日は晴れだっていうのに。そこまでしてこの日に観に行く理由ってナンだろ…?

初日でもないのに、クリアバージョンガメラ貰っちまった。
たぶん初日の分が余っているんだろうね。ラッキーです。

ガメラが松竹のマークから始まるのか… ま、平成シリーズは東宝マークだったし。そっちの方がある意味異質といえば異質。
…でも、大映マークが無いってのは、やっぱ…サミシ…

予告編では「日本沈没」こそ流れなかったけど、「ブレイブストーリー」の予告が観れました。
やっぱ観ようかなぁ…。宮部みゆきだもんなぁ…しかも亀山千広が製作加わってるしぃ。現・日本における最高の映画プロデューサーだもんなぁ、あの人。


で、冒頭から出ました!
アヴァンガメラにギャオス。
このアヴァンタイトルは、まさに平成シリーズを切り取ってきたかのようなハードさ、&爆発。
ギャオスなんか「Ⅲ」のギャオスハイパーそのまま使ってるんじゃないのって感じだし。
火の玉が落ちるシーンは、同じく渋谷の崩壊シーンを思い出す。

ガメラがギャオスから救ってくれた事に対し、歓喜する人々。
既に人々は1973年のこの時点からガメラを人類の味方だと認識している。
このアヴァンからして、この映画は市井の人間達の目線で進む事を示唆してますね。
研究者でも無く、自衛隊でもマスコミでも無い人々は、どのような意思によって怪獣たちが動いているとか、何故生まれて来たのかとか、関係無いのです。
人間を襲う怪獣ギャオスをガメラが倒した。であるなら、それだけでガメラは人類の味方と言える。それだけなのです。
後々出てくる台詞にも
「何でか分からんけど、ガメラは人間を助けてくれる」
て言ってます。そう、何でか分からない。でも、それでイイんです、彼らは。
映画を観ているだけの観客よりも、もっと切実な現状にいる人間なのだから。
この映画では全編通して、ガメラを危険視する人間は一人もいません。
ガメラは何でか分からんけど(省略)と、知っているから。実感しているのだから。
そういう、今までただ踏み潰されるだけの存在だった人たちの映画なんです、今回は。

で、タイトル「小さき勇者たち~ガメラ~」
どーでもイイかもしれんけど、ああやってフワ~と出すタイトルの場合は、あのロゴでは似つかわしくないと思う。ハリウッドでは、宣伝用のタイトルロゴと、本編のタイトルロゴは互いに相応しいものに変えるそうですしネ。


で、まぁ、透少年が見つけた小さな卵から、腹に模様の入ったカメが産まれて、トトと名付けるんですが…
かわゆい~~~~~!!!!!!
キュ~とかピ~とかホントはケヅメリクガメは鳴かないかもしれないけど、なんだ、あの愛玩イズムは!
配給の方々がしつこいぐらい、ケヅメリクガメの飼育に注意を促す理由もわかるッスヨ!
欲しいもんボク、あれ。眩しすぎるよぉ~~~んもぉ~~~!
しかも飛ぶしさぁ。
火まで吐くしさぁ。
かわゆさ全開フルスロットルゥ!
と、ココでサプライズ的に大悪獣ギロンが登場だぁぁぁぁぁ!!!!!
観た人は分かるよね? 上手いゾ!

どんどん巨大化するトトをガメラなのではと心配する隣のお姉さま、西尾麻衣。透に「麻衣さま~」なんて呼ばせてましたが、「舞様」はお姉ちゃまだろ、なんて思ってたのはたぶん劇場で俺一人。
もうね、透おいしすぎる。
隣に幼なじみのお姉さまがいて、しかも互いの部屋の窓が向かいあっているという、なんともあだち充イズム(え?違う?)というか。さらに心臓病で、さらにどうも透に気がある御様子!
かぁ~何それ? 鼻血が止まらないっすヨ、ええ。首の後ろをトント~ンてね。
その設定だけで飯五杯はいけるッつーの。

透はトトがガメラであるという事実を受け入れられない。
それは、もしトトもガメラなら、30年前のガメラのように死んでしまうのではないかという恐れがあるから。母親が死に、幼なじみの麻衣も病気で、透の大事な人がどんどん消えて行くのではないかという恐怖。
この辺が個人的に驚き。
自分の飼っている亀が怪獣では無いと否定する理由といえば、怪獣という破壊神のような怪物に、自分の愛する可愛いカメがなってしまう事を否定したいから、では無いのですね。
死んでしまう事への恐怖ってコトは、トトが怪獣であるという事自体に恐怖はさほど無いんですね。やはり、この世界の住民はガメラを信じきっているのだ。


透の父親、孝介にも父親と息子のドラマ以外のドラマがありましたよね。
孝介は73年にガメラが自爆する現場に居合わせていた。
ガメラは人間の為にその身を呈したのに、自分達はガメラに対して何も出来なかった…と。
だから、これは孝介にとって33年ぶりの恩返しなんですよね。
孝介が透と一緒に赤い石を届けようとするのには、父親として息子を守るという以外に、そういう思いがあるんじゃないかと。
だって、出なけりゃやっぱ必死で止めるッすよ。たとえ、赤い石がガメラに必要で、それが無いとガメラが死んでしまうとしても。ガメラより息子、人類より息子ですよ。
でも孝介は透と行く。息子に背中を押されて、やっとガメラに恩返しする事が出来るのだ。
あ、ちょっと涙腺が…ゆる…む…


ストーリーは、「のび太とふしぎ風使い」と似ているな、と感じます。
卵から生まれた××を育てる少年。××は成長し、悪の化身と対峙する――
ガメラかフー子かの違いっていうか、さ。
フー子の最期は今思い出しても涙腺が緩むんだよなぁ。
雲の切れ間から落ちてくるフー子の抜け殻… ゥゥ…(泣


トトが対峙するのは、これまたオーソドックスとも言えるフォルムの怪獣ジーダス。
ジーダスは色んな暗喩が込められている気がしますね。
オーソドックス過ぎるくらいなので、これまでの怪獣映画らしい怪獣です。つまり、「これまでの怪獣映画」の暗喩であり、それを打ち破ろうと戦っている新たなる希望トトは「新たなる怪獣映画」。
さらに、名前とか襟巻きってトコからジラースみたいな印象あるし。ジラースとゆーことは、それはもうほぼゴジラってことで。
ジーダス≒ゴジラ、もありですな。

でも、コイツが実はガメラらしい敵怪獣といいますか。今までのシリーズ同様、容赦無くトトを痛めつける。
しかも人間を食いまくる。イイんすか!? てぐらい人が死んで行く。その描写はある意味平成シリーズを越える生々しさです。

特撮でも怪獣と怪獣がスクリーンの上手と下手で対峙するみたいな、今までの「怪獣映画らしい画」があまり無い事も、脱却を狙っているんだという思いがひしひしと伝わって来ますね。


ファンタジー映画であるという事も重要ですね。怪獣に対する説明がほぼ無しですから。
SFって理詰めの面白さを求めたりしますからね。
でも今回は、考えるんじゃない、感じるんだ… というか。
別に「逃げ」でファンタジーと言っている訳でもなくて、元々怪獣なんて人間に分かるワケないんですよねぇ。予想を超える現象を起こさせる力があるんだ、とゆーそういうクライマックス。
小さき勇者たちのバトンリレー。
確かにグッと来ましたね。
「あぁ、これが小さき勇者たちってコトなのかぁ」とそのシーンでずっと思ってた。

そういや、「怪獣映画で泣いた事ありますか?」てコピーでしたよね、この映画。
そんな質問されちゃうと、「ある」と答えちゃうところがヲタクだなぁ…オレ。
「GMK」のクライマックス、父と娘が無線で話すシーンで、不覚にも泣いた…
まさか、怪獣映画で泣くとは… と自分に驚きでしたよ、ええ。


こういう映画はゴジラじゃ無理だなぁ、確かに。
でも、モスラならかなりハマるはず!
モスラとファンタジーの組み合わせの良さは、ガメラの比じゃないし。
東宝、チャレンジ、カモン!
あ、でもそれはそれで冒険スピリッツ足りないか…う~む。

いやぁ、上映時間何分間なのか分かりませんが、すごく短く感じたなぁ。
体内時計的には75分ぐらいか。
あっさりとした味わいだからかしらね。怪獣映画というと最近は濃厚なのが多かったから、その走りが平成ガメラだったりするんだけど。
対象的な雰囲気に包まれていました…
怪獣映画で女性が脚本てのも珍しいですね。俺の知っている限りでは「メカゴジラの逆襲」ぐらいだけど。
「小さき勇者たち~ガメラ~」は、滲み出る優しさや温かさから、監督こそ男性ですが、女性が作った怪獣映画という空気を感じましたね。

また一つ、怪獣映画の可能性を感じる映画ッす。
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   by tjtype1 | 2006-05-06 18:46 | エーガ感想
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